ぼくは引き寄せの法則の専門家であり、マスター(導き手)の役割を進んで買って出ていますが、引き寄せの法則だけをやっている人間ではありません。
色々と肩書きはありますが、大きな枠組みでいうと、演劇人です。劇作家であり、演出家でもあり、俳優でもあり、指導者でもあります。そんな演劇人が、どうして引き寄せの法則の専門家となったのか、少し説明したいと思います。色々なことが完璧に繋がっていることを理解して頂けるでしょう。
ぼくの人生を一言でいうと、「真実を求める旅」でした。本名の慎司という字は、「真の心を司る」という意味になりますが、小さい頃から、嘘や偽りや表面的なものが大嫌いで、真実や本質や目に見えないものを求めてきました。
演劇は虚構ですが、虚構であるが故に、いかに真実を込められるかが大切になるのです。そして、自分の考えていることを外に発信できる、誰かに向けて表現できるということは、多感な自分にとって引き寄せるべくして引き寄せた手段でした。
高校演劇のときに、はじめて書いた作品は「EARTH」という作品で、環境問題をテーマにしながら、神と人間を交えた地球の最後の審判を描いたものでした。今からすれば恥ずかしすぎるSFものですが、溢れんばかりの純粋な気持ちを外に向けて精一杯に投げかけた魂の作品でした。
正義、愛、人の進歩、生と死、未来への超越心……今、その台本を目にすると、ものすごいエネルギーを感じます。当時のぼくは、この作品に影響を受けて多くの人が目覚めてくれるのではないかと思っていました。演劇部の仲間たちは、ものすごく気に入ってくれて、大事さを理解してくれて、真剣に演じきりました。
しかし、演劇部の先生たちで構成する審査員は、最低の評価をつけたのです。コンクールでは落選しました。「これは演劇とはいえない」「もっと高校生らしいものを」。
世界は何も変わらず、大人論理で否定されたショックが残りました。
今思えば、理想を目一杯外に向けて投げかけたぼくはソースと完全に調和していました。しかし、「現実」という大きな壁がのしかかり、ソースから隔絶させられたのです。
それから、大学受験があったりで、いくらかリアリスティックな人生となっていきました。自分の失敗から、後輩たちに何かを残せるようになりたいと、日大芸術学部演劇学科に進路を決めました。ぼく自身も、もっともっと演劇を通して表現したいと思っていました。
大学入学後すぐに全国規模の戯曲コンクールで最年少受賞したりはしましたが、現実の重みばかりを感じる人生でした。というのも、日本の演劇をもっとレベルアップさせたい、新しい演劇を創っていきたいと思いながら、日本の演劇は相も変わらず、年配の重鎮たちが幅をきかせて、古臭いつまらないものか、表面的で中身の薄いものしか上演されていなかったからです。
何かを変えたい、新しいものを創造したい、という意欲は人一倍で、それは現在の、俳優訓練を教育やビジネス研修に生かすという事業や、オリジナルの引き寄せの法則ノート作成や日本初の動画講座開設などにも現れています。
しかし、どんなに学びを深めても、どんなに新しいものを提示しても、現実という大きな壁はそびえたっており、満足のいく成功はありませんでした。ただただ試練と学びが続く年月でした。
「悪霊に取り憑かれているのでは?」「どうして運命は自分の人生をこうも踏みにじるのか?」
わからない謎だらけに途方に暮れました。「スピリチュアル」が流行りだしたときには熱心に勉強しました。色々な気づきをもらいましたが、まだまだこの世の謎を解明しきれません。
そして2007年12月、普段本屋で本など買わないのに、吸い寄せられるように手にした「エイブラハムの教え」で人生が一変しました。そこには、明瞭なる答えが書かれていました。スピリチュアルでは解明できない矛盾も、遂に解けたのです。 |